鬱を乗り越えたエピソード

はろー、saltです!
今回は、鬱病を乗り越えて
フリーに働けるリゾバに至るまでを
語っていくよ〜
(ちょっと長くなっちゃったから
よろしくね(;´∀`))


始まりは、高校生…

親がいやーーな人格だったので
「とりあえず自立しよう!」と家計だけでも
親から離れようと決意しました。

そして、アルバイトの応募方法から探る日々…。
しかし、それからが鬱地獄へのスタート第一歩でも
あったのです。

入る収入は一ヶ月後、それまで食費以外にも
何の費用がかかるのかさっぱりな16歳は
とりあえず食費を切り詰めることにしました。

「失敗したら死ぬ…」と無知ながら、
食費を一日300円で過ごしました。

おかげで、カビが生えたイモでも泣く泣く口にする日々。
お母さんなどに作ってもらった弁当を当たり前のように食べる同級生が心の底から、羨ましかったですね。
そして愛されてない自分の境遇が悲しかったなあ。


そして、ヒマになると体の飢えや愛されてない悲しみが頭の中をぐるぐるしてたので
とりあえず忙しくしてみることに。

面白そうだなあって思った視聴覚委員会と軽音楽部、縁で紹介された生徒会にはいることに。<<学生生活の本格開始>>

委員会と生徒会で、忙しくも充実した時間で
苦しみを忘れて楽しめたのはとっても
良かったですね〜

ですが、結構ハードにしすぎてました(笑)
この頃のスケジュールとしては、
朝から、学生として授業をこなし、
夕方には委員会と生徒会、
夜にはバイトと部活をしてましたね。

そして、進学もしたかったので塾で勉強し
その費用も自分で工面することになりました。
未来のためにも、何かしたかったんですかね〜

そして、深夜になるとひとりでカップ麺をすすって
眠る日々でしたね。

ただ、しんどかったのは「孤独」。

誰も自分の状況に共感できなければ
理解もできない幸せな同級生しかいなかったし
先生も独り立ちする高校生活を知らないせいか
なかなか精神的な拠り所はなかったですね〜

そんな高校生活を過ごし始めて2ヶ月経った
春の5月。
友達の言っていることが理解できない時間が
でき始めました。
何か言っているのは聞こえる。
けど、それが日本語にならないんですよねー、
なかなか理解されなかったけどわかるかな?^^;

んー、言語が脳みそで変換されないカンジ?
日本語が言葉じゃなくて意味のないBGMみたいに
なっちゃうカンジ。

体が段々異変を起こし始めてましたね〜

まあでも、お金もなければ
先生や大人に相談しても使えるアイデアはないし
「耐える」選択しかなかったですね。

結果、頭がだんだん動かなくなり
人の言葉がわからなくなる頻度が増えるが、
委員会としてNHKコンクールに出場したり
生徒会では生徒会長となったり
けっこー忙しければ放り投げるわりには
いかない責任を背負う立場になってましたね〜

だから、体と心を壊す勢いで
頑張り続けましたね。

あぁー、貧困な未成年にお金を貸与したり
親と離れて暮らせる制度が整っていれば
こんなことにならなかったのにな、って
今でも思ってしまいます(;´∀`)
自分が実現させたいですねぇ。

あ、話それちゃったわ(笑)

それでですね、
一日300円のごはんで、
孤独と苦しみでメンタル崩壊しちゃって
そんな生活で体もおかしくなってましたねー

そして、高校3年の時、
自分のなかで
「がんばらなきゃ」vs「もう頑張りたくない」が
戦っていて、ずっと頑張る方を勝たせていました。

しかし、ある時
次の予定に向かおうと家を出ようとした時
「もう頑張りたくない」が勝ってしまったんです。

そして、とうとうヒザが折れました。
地面にへたり込んで座り、
そのまま泣きながら放心していました。
1時間くらいかな?
経ったときに意識が帰ってきて、
その時には次の予定は完全遅刻。

それからは、
もう何もできなくなりましたね。

布団に潜り込んで、
そのまま眠るだけの日々を3ヶ月かな?
過ごしましたねー

目が覚め、また生きている悲しみに泣き、
そして現実を忘れるために寝る。

そして、起きている時間が偶然学校が
まだやっているなら、なるべく登校するように
なってしまいました。

生徒会長をしていたのに、
職務を全くできなくなってしまって
後輩たちには本当に申し訳なかったですね(;´∀`)

そして、祖母がいるのですが
その人には「学校をこんなに休むな」
「留年しかけてるから朝から登校しなさい」と
先生や親族からの催促が毎日来ていました。

人に対しても絶望していたので、
誰も私の境遇を知らなかったのです。
仮病だと思ったのでしょうね。
まあ、私自身も自分を仮病なんじゃないかと
自責をしてしまっいました。

なぜ動けないのかと。

そして、ある日
自分の意識が宇宙に浮かんでいて
太陽と地球がとってもきれいだったのを
鮮明に覚えています。

次の瞬間、目が覚めましたが
それはいつものとは違いました。

「自分は名前と記憶を引き継いだ他人である」
って妙な自覚があったんです。

その時をさかいに、
だんだん布団から起きれるようになって
学校に行けるようになりました。

ただ、変な感じはありましたね。
なーんか、中に浮いてるかのような
ヘンな感じ。

そして、後輩と話している時にそれは
はっきりしました。

昨日のことを、自分は覚えていなかったんです。

昨日は学生生活で初めて早退してしまったのに、
私はいつも通り生徒会の仕事をして帰ったと
思っていたんです。

違いを後輩くんに指摘されて、
自分には「記憶」がなくなっていることに
気づいたんです。

いやあ、びっくりしましたねぇ〜
ホントにー

「これが多重人格ってやつかな?」と
ぼんやり考えながらも
まあなんとか今をしのぐことだけを
また繰り返していましたね。

…その後のことは
なんか真っ白ででてこないなあ(;´∀`)
ありゃま(笑)

とりあえず、高校卒業して
日本情勢とか調べてより自分の希望にそう
働き方をして自立しようと
リゾートバイトをすることに。

そして、今ではなあなあで働いて
のんきな恋人とえんじょいできてるんで
これはこれで幸せだなあって
思います。

こんなに頑張ったなら、
そろそろ人生終わっても良いんじゃないの?
とか思っちゃいますけどね(笑)
私、まだ19なんですよ

若いけど、
一般人でいう30,40代以降の悩みに
直面してたららしいからか
精神年齢は高いみたい(笑)
やったね

とりあえず、鬱を乗り越えたエピソードは
こんな感じ!

大事だったなあって思ったのは…
・「選択肢」を知ること!
情報の集め方を知ること。めっちゃ大事!
「失敗しても大丈夫なんだな」って安心感に
つながるからね
・失敗しても大丈夫なんだって知る
・とりあえず休んで、感情を大事にしてあげる
・衣食住を大切にして、自分を満たしてあげること
・逃げたっていい。ことを実感する

だなあー

なんか困ってたら、やってみてね!
なあなあに、ほのぼの。
これ大事

それじゃあね〜
こんなに読んでくれてありがとうー